こんばんは!失礼します。
3回生の土谷です。
本日もよろしくお願いします!
本日は長崎原爆についてお話させていただきます。
もう1ヶ月程前の話になりますが、今年の8月9日11時2分に長崎市に原子爆弾が投下されてから79年が経ちました。
長崎市に落とされた原子爆弾は、通称「ファットマン(太っちょ)」と呼ばれ、松山町の上空約500mの所でさく裂し、一瞬にして約74000人もの尊い命が失われました。長崎市では、8月9日だけではなく、8月6日の8時15分広島に原爆が落とされた日時にもサイレンが鳴り、黙祷をします。長崎市の子どもたちは小さい頃から平和学習として原爆のことを学び、8月9日も夏休み中ですが、曜日に関係なく登校日で学校に行き、11時2分にはみんなで黙祷をします。
長崎市では、8月以外でも毎月9日の11時2分に被爆50周年を記念して作られた「千羽鶴」という曲を防災行政無線で放送しています。
アメリカは原爆を日本のどこに落とすのかを考え、もともと長崎は候補地には入っていませんでしたが、様々な問題で色んな県が候補地から外れていき、最終的に広島・小倉が目標となり、予備地として長崎が追加されました。
6日に広島で落とされ、9日に小倉に落とそうとしましたが、前日に近くで空襲があり煙で視界が悪かったため、長崎に投下されました。
もし、その日小倉上空が晴れていたら…もし日本の降伏があと数日遅れていたら…もし降伏しなかったら…
歴史が少しでもズレればこの世界は大幅に変わるため、私たちの命は存在していなかったかもしれません。
私たちが当たり前だと思っているこの日常は、決して当たり前ではありません!
毎日3食好きなものを食べられて、毎日学校に通い、好きなことができているこの日常に感謝し、これからも生活していきたいと思います!

これは8月9日11時2分、長崎市の浜の町アーケードで定点カメラで撮影されたみんなが立ち止まって黙祷している様子です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
明日もよろしくお願いします!
それでは失礼します。